日記の続き (プライヴェートな昔話なので、暇な人以外は付き合っていただかなくてよいです)

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前に日記をつけていた話、特に10代の頃の日記について書きました。

こうなると、続きをよまずにはいられなくなる。

なんと、2日間、没頭しましたね!

在勤のおかげというべきか。

で、懐かしさから、次第に生々しく古傷に触れ始めて、やがて傷口が開いてしまい、血みどろになってしまいました........。

いま、正直、落ち込んでいます。

ん~、30年以上前の日記がこんなに破壊力があるのか。

どうしてそんなにも殺傷能力があるのか、というと、

今現在の自分の言葉で語られているからです。

思考法とか感受性とかまったく変わっていない。

ところが、書かれている内容は、多くのディテールが忘却されていたのでした。

というか、封印され、無意識という地下室に別置され、厳重に鍵かけられたままタブーのように忌避されていたのでした。

もちろん、それは今読み返して分かったことですが、無意識にそのように自らに強いてきたのです。

なぜか?

日記を読み返して強く思ったのは、

私は、2度、死んでいるんです。

それは肉体的に大病したというのではなくて、精神的に。

一回目は美大卒業後に。

二回目は心機一転して一般大学に入り直し、大学院に進もうとしていた時に。

どちらも女性が関わっています。



あれ、なんで自分はこんなことを書いているんだろ?  だんだん露悪趣味になってきたかな。

親しい友人に、なんのためにそんな分析をするのか?と問われました。

  多分、自分自身をよく知りたいから。

  それによって、人間というものをよく知りたいから。

  人間というものがわかったら、安心して死ねるだろうから。

  だから、愚痴みたいに後ろ向きではなくて、よく(充実して)生きたいという前向きなんだと言ったら、わかってくれました。

まぁ、歴史を学ぶというのは、そういうもんでしょう。


ところで、一回目に死んだ時、日記に書き付けた文章に次のようなところがありました。23歳になる直前です。

なににもなりきれない、というのは、自分があまりにも批評的人間だからだ。いつでも醒めた目が、自分を邪魔する。

翌日には、

頭でっかち。
 もっともっと頭でっかちになってやろうじゃないか。もっともっと疎外されようじゃないか、え。

ほとんど、殴り書き。

しかし、「なににもなりきれない」というのは、まさに私の人生そのものじゃないですか

今、私は、世間的には大学の教員であり、美術史学者でありますけれども、教育者としても学者としても中途半端な男です。

その良い証拠に、絵を描くことはしばらく断念したものの、粘土いじりを始めちゃいました。これも半端。

そして、その半端な生き方は、「頭でっかち」で、一途になる前のところで、なんか醒めちゃってるんです。

醒める → 冷める → 褪める  

興味深いのは、絶えず、自分が「なるべきもの」に向かって一所懸命だったことと(ひたすら走り続けていた)、

それと同時に、いつも恋していたこと。いや、恋い焦がれていたというべきか。

これが厄介で、ある女性と付き合いそれが恋に変わったというような自然な感じじゃなくて、恋い焦がれるという欲動が先で、そこに女性が関わってきたように見えること。でも、このことはちょっと措いておきます。

しかも、複数の女性が同時に関わっていることが多い。

いや、別に私はドン・ファンでもプレイボーイでもなくて、むしろ奥手であり、内気な男でした。

それでも、デートしたり長電話する相手は、幸いに居たのでした。

で、恋する対象が一人に定まらない、あるいは一人ではあっても他の女性が微妙に影を落としている、ということ。


ところで、一回目は完全なすれ違いで、私が完全に相手を取り違えていたために、大きな傷をその女性に与えてしまったのでした。

上に引いた日記の文句は、自分の画業についてだけではなくて、対女性の自分の行動についても言っているんです。

そうそう、「疎外」って言葉は、当時、キルケゴールを耽読していて、その影響下に使っているんですね。社会からの疎外じゃなくて、自分自身の精神において自己疎外を起こしているといったいみだったと思います。

その一回目の時の女性Aは、高校2年生の冬に美大受験のため、某予備校での冬期講習会というのに参加した時以来の知己でした。

その後、高3の春から同予備校夜間部に通った時も一緒で、女子ばかりだったのですが、孤立していた私に時折声をかけてくれるような親切な女子でした。

互いに受験失敗して、そのまま予備校で浪人して一年間デッサンや着彩の技術習得に励んだのでしたが、彼女の方がいつも私より評価されていましたね。

でも、不幸なことに、私は一浪で大学に入ったのに、本命と教師にも同友にも評価されていた彼女は落ち、その後も多浪しても受かりませんでした。

でも、戦友(?)として友情が芽生えてましたから、一緒に映画に行ったり展覧会を観たり、時には寮に来て夕飯を作ってくれたりしていたのですが、私の方は絵のこととか自分のことばかりにかまけていて、それどころか、美大の女子寮(男女寮が並んでいたんです)にいた声楽科の女性と仲良くなったりしていました。

言ってみれば、両天秤にかけた感じで二人の女性と付き合っていたのですが、どっちも深まりもせず、そうこうするうちに、Aが突然、バイト先の男性からプロポーズされたという話を持ってきた。

そこからが、私の煮え切らないこと。

源氏物語の薫じゃないですが、優柔不断なというか、相手の相談にのって友人ぶって助言するみたいな、どう考えても他人事みたいな対しかたしかできていない。

自分自身でも、踏ん切りが付かないというか、臆病なところがあって、いろんな弁解じみたこととか消極的な事情をあげつらって考えているわけです。

本当に好きなら一途になるところでしょうが........。まぁ、本当の恋じゃないと言われれば、そうかもしれないですが。

自信が無いのか、薄情なのか、慎重すぎるのか.....。いちおうは、遅ればせにプロポーズしたのですが、

たぶん、本命は私だったはず(!?)ですが、そういう私に失望して彼女はその男性と結婚することを選びました。

なんか、卑怯ですよねぇ。しかも、そのあとで、彼女の友人女性から非難されたりして。

彼女自身から何回も電話をもらいました。結婚後、幸せじゃないことがはっきり分かった。でも、どうしようもないんです。

いや、どうしようもあったのかな?

子供が産むだろうというという電話をもらった時、ちっとも嬉しそうじゃなくて、でも今更産むなとか離婚しろとか言えない。 

そんな腹の据わった覚悟なんかできないし、結局、自己嫌悪。

しかも、絵の方も迷いや失望ばかりでした。

当時、電機工場のプレス工みたいなアルバイトをして、シモーヌ・ヴェイユとか読みながら実に暗い毎日を送りました。

で、行き詰まって、もうダメだぁとなって、

最後の、藁をも掴むような気持ちで木を奮い立たせて、人生をリセットすることにしました。

一般大学に入学しなおして学者になろう、画家の道は断念しようと。 親がビックリするほど喜んで賛同したのにかえって驚きましたが、それくらい、暗かったんでしょう。

夕方、帰途歩いていた背を叩かれて、姉に自殺寸前の男みたいだといわれたりして。

これが、一回目の死。


ところが、第2ラウンドで、希望する大学に入学し、新鮮な気分で勉学に励んでいたところで、偶然に美術館で女性Bに遭遇したんです。

彼女は、Aと同じように予備校で一緒に学んだのですが、私と同時に大学に合格していました。どころじゃない、Aと同じように、高校三年生の夜間部でも一緒だったんですよ。

ところが、美大在学中、私はBを避けていたんですよ。なんか、心のどこかで忌避するように仕向ける働きかけがあって、露骨に遠ざかっていた。

Bは美大にはちょっとそぐわない印象の御嬢様(実際お嬢様学校として著名なカトリック女子高出身でしたし、青山の高級マンションに住んでいました)で、大学でも毛色が違う存在で、孤立していた感じでしたが、

何回か、向こうの方から親しげに話しかけてくることがあっても、実に意図的に素っ気なくしていたんです。

私がショパンが好きだというのを聞いたので持っているレコードを貸してくれると言って、ルービンシュタインのマズルカ集のLPをいきなり持ってきたりして、

私は迷惑だったんですが、一応借りて、でもなんの感想もなしに返したりして(あとで、さんざんなじられました、彼女はわざわざ購入して、自分が聞く前に私に貸したのだし、それはふつうなら気付くはずだと言って)。

でも、その冷淡な対応は、意図的なだったんですよ。付き合う気はないよ、っていう。

ところが、卒業後、親友(彼はなぜかBと親しかった)から彼女の不幸な境遇のことを聞いたりして、自分の冷淡さを後悔していたこともあって、その邂逅では迷惑がるどころか懐かしさを感じて、

めずらしくこちらから誘って近場の茶店でいろいろ話しました。

彼女、プライド高いんですが、それでも美人で(私以外の知り合いは皆一致して評価していましたね)、彼女の言うには、在学中に同級生の男子でお茶に誘わなかったのは私一人だけだ、と。
そのとき、朴念仁の権化みたいなヤツを思い出して、笑いながらアイツも誘ったのかと聞いたら、下心ありげに誘ってきたというので二人で爆笑したり。

なぜだろう、それから話に花が咲いて、家が近いというので彼女の家にまで行って随分話し込み、急激に親しくなってしまった。

その後半年間の生活は、もう「文学」でしたね。

激しい恋愛にまで発展して、大学に行っていたんだろうか?ってくらい、会っているか電話しているか考えているか、っていつも彼女のことにかまけていたし、

日記帳を見ると驚くのですが、そうしたまるで文学調の生活が、同時に大学での活動と並行している。さらに、当時、

真に理解し合えるような別の女性と出会っている。この方については、別に記す必要がありますねぇ、もう一人の方と....

ところが、この御嬢様のBは、とんでもない家庭環境の中にあって、身動きがとれないことが分かったんです。

もう、父親と母親と弟さんとが、みんな別々に彼女の肩にかかっていて、それがずっと子供の頃から続いていたので健康を損ね、精神的にも不安定になっていた。

つまり、背負っていたんですね、家族の期待というか、依存されていた。

私は、はじめは彼女の救い主みたいに多分彼女には見えたけれども、彼女の家族ぐるみの重荷を取り除く力(要するに経済的な問題ですね)は全くなかった。

はじめから、この文学は「悲劇」だったんです。シェイクスピアもんですよ。運命に翻弄される悲恋。病気と貧乏ときているんですから。

でも、若かったんだなぁ。ケンカして街中の人前で罵り合ったり、夜中なのに、急に会いたいと言って電話がかかってきて、いったん寝床に入っていたのにすぐに飛び起きて会いに行ったり。

夜、電話し終えてから、双方で手紙を書いて、出してから、急激に会いたい思いに耐えられず電話して会ったりして、とか。

親に内緒で数日間の旅行したりもしました。

この頃、ドストエフスキーの『白痴』を読んでいてもの凄く感動したことを思い出します。キリスト教ほかの宗教の話もよくしました。

でも、結局、ムリなものはムリと。

生活力のない私。健康ではない彼女。親が反対するからといって、駆け落ちしたって生活していけないことは明らか。

しかも、家族のしがらみが道義的に彼女を束縛し続ける。両親は別居していて、弟さんも精神的に病んでいました。

第一回目で苦い経験していますから、私もなんとかしたいと思っていても、自分でも感心するくらいにカネを作る能力が欠落してるんですよ。

危機感を持った向こうの両親が縁談をもって来る。もちろん、優秀なお医者さんです。家柄も良い。

涙涙の愁嘆場があって、放心状態に落ち込む。

ふつうなら、しばらくは何も手に付かない、はずなんですが、

この時期、学業ではもの凄く忙しいんです。しかも、師事している先生のもとでアルバイトもしている。大学院受験を控えている。

この忙しさが、かえって良かったのかもしれません。

実は、彼女は結婚をし、その後でも何回か電話をよこし、会ったりもし、結局は離婚してしまった、あっという間に。

けれども、もう二人ともあきらめていました。あきらめざるを得なかった。なにも問題は解決しないのだから。

これで、また、死んだのだと思います。私。20代の末でしたが。


まるで無かったかのように、「別の」生活を始めているんですよ。日記を読むと。

えっ? ていう感じで、淡々と記述が続いている。

彼女から電話があった、とか短い記事はあるけれども、「切に幸を祈る」とかまるで過去の扱い。


こうやって、人間は生き延びていくものなのか。

で、他にも本当に沢山のことが同時並行的に実はあるんですけれども、

あれほどに身を焦がした、というか焼いた、あるいは傷だらけ血まみれになった日々の記憶が、

私自身の結婚後、日記帳とともに紐で括られほこりをを被るままに押入の奥に放置されたということ。

このことに唖然としているのです。

結婚して、またリセットして第3の人生を始めるのに必要だったのかもしれない。


前に、「変わることと、かわらないもの」

というようなことを書きましたが、

「覚えていることと、忘れること」というか、

ほとんど無意識のうちに、無意識下へと沈めてしまおうとする力が働いているようです。

前に、ロマンポルノ映画で、モノクローム画面がカラーに変わる瞬間のことを記しましたが、

この生々しいカラー映画が、まるで過去のドキュメンタリーのようにモノクローム化して、よそよそしいものになってしまう。

褪めてしまう。     つまり、リアリティの喪失。

なるほど、詩人は、命が持たないわけです。

眼が曇る、というのも、涙が溢れてきて、ということもありますが、むしろ、見ている対象が褪めてしまっている状態の気もします。

リアリストは、生々しいカラーの世界を凝視するのでしょうが、凡人には堪えがたい、心がズタズタにされてしまう現実です。

結婚して以来、日記を書くことをしませんでした。時折、メモらずに居られないことは多々ありますが。

たぶん、とても忙しかったこともありますが。



また、考えますに、

忘却の彼方に沈めてしまうということ

これは、また同じことを繰り返す、ということに直結します。

バカは死ななきゃ直らない、というのは、学習能力が無いということだけではありません。

能力の限界をも示している。

何人もの女性を傷つけて、私自身も傷ついて、

それなのに、現在でもまだひとを傷つけ続けている。

決して善い人間になれていない。堕落もしていなければ、向上もしていない。

行動パターンは、驚くほど変化していない。

古い日記を読むのは、毒を仰ぐに等しい。

浦島太郎の話、ですね。ちょっと違うけれど。

パンドラの箱かな。それだと、最後に「希望」が出てくるのだけれど。

なぜ、開けてはならない箱を、わざわざ持たせるのか?

なぜ、私は日記帳を捨てなかったのか?

前にも書いたように、日記は備忘録ではありません。

生きるために自分の思考や感情を確認すること、生きている自分自身を確認すること、

つまり自分の生そのものだったから、捨てるにしのびなかったのでしょうね。

こんなものを付けることは私にとってマイナスだったのかもしれません。悪い習慣を身につけてしまったのかもしれない。

でもそんなことを言ってもしかたがない。私にとって、生きるために、それは必要だったのです。



さて、今、私は日記帳の束を捨てようと思っています。

世界観は、単純に言って二つです。

ひとつは、無目的的な時間の流れ、偶然的にあるいは因果関係で連鎖的に発現する諸現象に過ぎないというもの。

もう一つは、見えないし認識も出来ないけれども、なんらかの意志的なものが働いている、人の眼には偶然として思えないけれども、それを導いている存在がある、というもの。

後者の世界観に立つならば、「神の見えざる手」によって私たちは生かされている。

私の人生は、後者の世界観を理想としながら、敢えてこれに反論を試み続けてきたともいえます。

あるいは、日記帳は、「我執」の塊、ですか。

韓国のアカスリをやってもらうと、ボール球くらいの垢が取れるそうですが、垢の塊かもしれない。

だから、日記帳は廃棄しようと思います。

たくさんの(自分にとっては)ひとたちに負わせてしまった傷を悔いつつも心に抱き直し、彼女たちに感謝の心をもって、また幸いを祈りながら、もう少し生きていきたいと思います。

長文、駄文、読み通して下さった方ーー、日記と同じように、人様に見せるようなものではなく、垢みたいなもんで、すみませんでした。

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