10代の日記、変わっていない自分!

20200515_071640.jpg庭の片隅に発見。つるバラ。

押入の中に埋もれていた日記の束を偶然見つけました。

捨てるに忍びなくてズッと秘匿していた日記。

そろそろ処分すべき時かもしれません。

一番古いものは昭和43年7月のもの。私が13歳、中学1年生の時。

これは、中学の夏休みの宿題ではじめたもののようです。内容は、父と一緒に九州に旅行した記録でした。

寝台急行「明星」に乗って、二葉亭四迷『浮雲』を読み始めたなどと、実に渋い書き出しです。

その頃、小学校の理科の先生(土屋愛寿先生)の影響で自称「石キチガイ」だった私は、ろくに口をききもしなかった父が九州旅行するというのに、母の勧めもあったとはいえ、同行することになったのは九州が火山王国だったからです。その頃、阿蘇山と桜島は憧憬の聖山だったんですね。

でも、豊後竹田の岡城とか長崎市内とか親戚の居た阿久根市とかいろんな所に寄り道をしています。特に、阿久根から上甑島に言ったのは印象深かった。いまでもよく覚えていますが(記述は実にアッサリ)、海岸が石浜で、全ての石が波に磨かれてまん丸で、投げるとボールのように高くはねて遠くまで弾んでいくのが凄く面白く、なんか感心したんですね。海の透明さも半端じゃなかった。朝夕の往復一回だけ舟が出るので、実に長閑でした。

とまぁ、他愛のない日記なのですが、これを提出した検印が押してあって、教師からのコメントが書いてある。
で、その後、自発的に書き足しているんですね。そこからは、記事内容がガラッと変わって赤裸々なことが書いてある。
どうも、日記をつけることにはまりだしたようです。

面白いのは、好きな女性のリストがあって、中学校の女の子の名前が二人、のほかに、九州で見かけた女の子というのがある。
文字通り一目惚れで、タブ、数分しか出会っていないし、すれ違っただけなので、網膜に張り付いた残像が心の中に妄想を生み出していただけなのですが、いかにも私らしい。未だに、そのケがありますから。

この最初のノートは突然終わって、そのあと空白があるのですが、3年後の1971年7月31日から始まる日記帳(ノート)が次にありました。この前のノートはどうも破棄したらしい。

この頃、16歳の高校1年生ですが、テニス部に入りながら、文芸サークルを立ち上げていました。学園紛争の一環で母校も学生運動がそれなりに盛り上がり、その過激な生徒のアジト(懐かしいことば)のひとつが文芸部にあったらしく、私が入学した時には廃部の憂き目にあっていたんですね。だから、一から作らなければならなかった

日記には、それまでに8つ小説名が書かれていて、中学2年の文集に載った『ある手紙』というのが3番目にある。一番早いのが『永遠に』というもので、うっすらと恋愛ものだったような記憶がありますが、内容は忘れました。因みに『ある手紙』は島崎藤村の『破壊』と岡林信康のフォークソングが下敷きになっているもので、主人公の手紙という形式を採っていうんですね。この頃漱石の『こころ』を読んでいたかは不明です。


顧みるに、私は5歳の時に千葉の松戸市から東京都西多摩郡五日市町(現在はあきる野市)に家族ごと引っ越ししているんですが、この時に大きな精神的衝撃を受けていて、幼稚園に入ってから一年くらい全く言葉を発しなかったんです

カルチャーショックというか、地元の子供たちになんか嫌悪感を覚えた。馴染めなかったんですね。

何ヶ月も経ってようやく慣れてきたんですが、今度は喋らないのがデフォルトになってしまったので、その状況を変える勇気というか、騒がれるのがイヤだなと言うか、面倒くさいので、そのまま黙ってた。でも、いいかげん、うんざりして、近くにいた女の子と話をし始めたら、園中の話題となって保母さんたちの喜びようが大袈裟で困ってしまったのですが、そうやって漸くイニシエーションを終えました。

小さい時から面倒な子だったんですね。後年、母が笑ってよく言っていましたが、最初に園に連れて行ったら、私が嫌がって、そんなら一人で家に帰れと突き放したら、うんと言って本当にひとりで家に帰ろうと歩き始めたので慌ててとめた(家まで20分くらいかかる)とか、幼稚園に行くのをやめるかと聞くと即答でやめるというので、なんとか行くことを約束させたが、その後何日もチャンと登園するかどうか見届けるために毎朝尾行したり(当時はのんきに幼稚園児も一人で通園したんですよ)警戒を怠らなかったそうです。

われながら頑固ですねぇ。親や保母さんたちがなんと言っても、決して口を開かなかったんですから。そのくせ、家出は一番のおしゃべりで、口から先に産まれてきたんだなどと言われていました。

で、小学校に入ってからもなんか疎外感があって、親しい友だちが出来たのは上級になってからでしたね。それまではよくいじめられていました。でも、成績が良かったんで、それから田舎で長閑なところだったから、たあいのないイジメでしたが、それでも人間の卑劣さとか野蛮さを深く感じるには十分だったし、いまでもトラウマのようになって記憶している断片が幾枚かあります。

そんな少年時代、私は一人で山に入ったり(なんせ田舎ですから、学校より山の方が近かった)、家で読書に耽ったりすることのほうが、人と遊ぶよりも余程多かった。

こうして、私の自然愛好と文学趣味が決定的になりました

私が中学生の時に独身だった叔父が死んで、その遺品として沢山の文学書が家に来ました。日本文学が好きだったらしく、全集物から単行本までかなりありました。で、私は日本文学全集なんていうものを、もう片っ端から読みあさったのでした。

先の16歳の時の日記の最初のページに、そろそろ自作小説を人に読んで欲しくなってきたなどと記し、そこで

「現代の小説は思想的に明治のものより高い。しかし、明治のものにあった面白みがない。これは大切である。やはり文学は芸術である。第一に芸術であると思う。途中で読者を飽きさせたのではだめ。その点明治時代の紅葉、蘆花、鏡花などはには感心する。」

と書いている。いまでも泉鏡花は最愛の作家ですが、徳冨蘆花の『不如帰』を呼んでド感動して、父と神田の神保町まで行って蘆花全集を買ってもらうほどでした。もっとも、それほど深くは入れなかったけれど。『黒潮』が未完だったのが痛いし、『自然と人生』系統になじむにはもうちょっと年を取る必要があったでしょうね。

それから、音楽ではベートーベンが一番だけれどラベルやロマン派を聴いているとか、絵画ではモジリアニが良くて、ゴッホやマチス、ピカソが好きになったとか、ホアン・グリスやボナールを挙げている。案外にこの頃はモダンでしたねぇ。
詩人としてはやはり宮沢賢治で、他に草野心平と三好達治という対蹠的な作家を挙げている。

とにかく当時から、芸術にのめり込んでいる状況がよくわかります。とりわけ、この頃は文学と音楽でした。それにしても、泉鏡花といい宮沢けんじといい、いまでも日本文学の双璧ですよ、私にとって。

  「芸術は贅沢品では決してない。僕にとってそれは必需品なのだ。」

そして、「一大事の異性への憧れも、芸術の中にあってこそ美しく清らかである」といい、自分にとって芸術と女性が心を2つに分かち合っているけれども、「その女性を思う時、そこには必ず詩的あるいは音楽的雰囲気がある」と。

さらに「愛は善であり、善は美である以上、愛も美でなければならない」と記す。

いやー、なんとも、観念的でいかにも青年らしいと言えばそれまでだし、こういう言辞は読書による刷り込み的な受け売り言葉であり、実体験に裏打ちされていないといわれてもしかたないですが。


それにしても、16歳の頃の自分といまの自分と、変わったものは何だろう?

基本、何も変わっていない気がする。言っていることの内容さえ。

この40年間、私は何をしてきたのだろう?

毎朝、発見する小さな「美」。

確かに、そのたびに新鮮であり、感動を得られるのだから、「発見」ではあります。

でも、その体験は新しいものではない。16歳あるいはもっと以前から、同じようなものを見て、同じような「発見」をしてきたんですね。

変わるものと、変わらないもの。    美術史学をしてきて常に考えること。

モーツアルト16歳の時作曲されたディベルティメントが、既に完璧にモーツァルト的であるように、その後20年間の彼の作曲したものに変化や深みはもちろんあるだろうけれども、本質的な部分はなんら変わっていないのかもしれない。21歳の時のジュノーム・コンチェルトを聴くと、もう年齢を重ねることにどれほどの意味があろうかと考えてしまいます。

年を取る、齢を重ねる、とはどういうことだろう

早熟とか、晩成とか。これは結果論でしかなくて、当人に関してはなんら意味を持たない、他人からする評言でしかない。

けれども、日記を書いた16歳の自分は、良くも悪しくもろくすっぽ経験を持っていない。

いまの自分は65年を生きてきたという、それなりの経験者です。

なるほど、自然科学とか音楽については年齢などほとんど関係ないですな。

でも、齢を重ねることの意味はないわけじゃない。

こうして、若い頃の自分を発見し、顧み、いまの自分と比べ見ることによって分かること、気付くこと。それはどうでも良いことではないと思える。

とかく頭でっかちな人間(男に多い)は、年を取ることによって脳ミソに身体(実体)が追いついてくるのじゃないでしょうか。

反省する、ということ。それは後悔したり愚痴ったり諦めたりするというような消極的な行為ではない。

といって、今後将来に向けての材料にするとか、単に利用するだけのものでもない。

むしろ、いま現在の自分をしっかりと見る、見詰めること。それと同時に人間というものを見極めるということ
こうしたことのために、大きな意味があることだと思います。

もちろん、それは何歳になったら完成するとか、何歳以上にならなければ未熟だとかいうようなものではない。

日々、新たな「発見」を更新するということ。

そのたび毎に、変わらないものを確認し、変わったことを味わうこと。

そして、より確かなことを確認すること。

それによって、年老いた毎日を充実させて楽しむことができるような気がするのです。


     日記は大学生の時期まで断続的に書き綴られているので、しばらくは楽しめそうです。

この記事へのコメント