リアリティーについて。懐かしきエピソードと....

20200429_070357.jpgヒメツルソバの上にツルニチニチソウの落花

リアリティー。

それは日常生活の中で、他者との出会いによって喚起される実感と言うことが出来るかもしれない。

他者とは、誰でもよい、他人だけではなくて親族や身近のひとでもよいし、あるいは人間じゃなくて動物や植物でもかまわない。

つまり、「出会い」だ、自分が自分以外のなにものかと出会って生まれる「驚き」「気付き」だ。

covid-19のため自宅に籠もっていると、この「出会い」がかなり制限されてくる。

ただでさえ、単調な繰り返しによって無感動化しがちな日常生活が、この出会いが減少するためによけいにリアリティーがなくなる。

読書やテレビ/映画鑑賞などは「出会い」としてはかなり薄まってしまう、なぜなら意外性がすくないからだ。

自発的/意図的に行動しているので、どうしても観念的に「出会い」を捉えてしまうので、「驚き」というか「意外性」「発見」の要素が縮小する。これが、退屈を呼び込む。

普段から、あまりひとと接触しない生活をしているひとはさほどに変化を感じないだろうが、外出が通常になっている人は、特例である「休日」が日常のものとなるというのはかなりの変化であり、しかもバケーションのようにやはり外出というイベントで消化してきた休日を、自宅内で収めなければならないのは新たな工夫が必要だろう。

当然、ストレスがたまるということになる。

また、抑圧感情というものがどうしても生じてしまう。

これはストレス以外のなにものでもないから、必要以上に外出欲動が起こってしまう。

退屈というのは時間をいかに消費するかという課題を突きつけられている状態なので、なんらかの行動を促す。

することがないと食べる。あるいはしゃべるとか歩き回るとかするが、狭い家の中で同じような情況下にあるもの同士が接触すれば、

ともすると和睦的なものではなくて一触即発的な摩擦が起こる。平安からはほど遠い。

家庭内に閉ざされた家族一人一人が自足していなければならない。まぁ、愛し合っている者同士なら仲良く交わっていれば良いので問題は無いけれども。

こういう情況下で、メンタル的に強いのは女性ではないかと思う。

例の、男性性と女性性というモデルを援用すると、

女性性は「出産と育児」の性として、内向性・安定性・静的・保守的(大きな変化を好まない)などの性向を、この場合指す。

男性性は「獲得と競争(戦闘)」の性として、外向的・破壊(革新)的・動的・変化を好むといった性向だ。

だから、基本的に男性性の強いひとはアウトドア派となるし、日常生活に変化を求める。

もちろん、以上はたいへん概念的な仮想モデルなのだけれど、

そして、女性はだから家庭内に居るべきだ、などという暴論に結びつけられると困るのだけれど、

わざわざ男女両性を相異なる方向性としてモデル化したのは、区別することに主眼があるのではなくて、

両性があるということのプラス面を評価したいから。

例えば、A液とB液という安定した液体を混合することによって、強力なプラスチックや接着剤を作るという化学変化を私達はよく知っている。

「変化」がポイント。

古代、たとえば縄文時代において、土器作りは女性の仕事だったろうと推測されている。

IMG_0806.JPGこれは中国・甘粛省博物館の旧跡時代生活を再現したジオラマ

それが、陶磁産業へとプロ化していくのは、商品化されたからで、そうすると売れるためには他と異なる新しさ(もちろん効率化の点もある)

つまり「変化」が「競争」する上で必要になってくる。男性性の出番だ。

で、美術的にも機能的にも優れた作品が生み出されていく。

技術でも芸術でも、女性性と男性性の両方が必要だ。

学者とか職人とかって、本来女性性の傾向が強いんじゃないかと思っているのだけれど、

競争心とか新奇性(好奇心)とかの男性性をも備えた人じゃないと大成しない気がする。

話がなんとなく変な方に逸れていっちゃったけど、

このところ、ゴミ出しの区分けで今日が何曜日か気付くみたいな変化の無い生活を続けていて、

この「気付き」が大事だよなぁ、と思うわけです。

気付き、っていうのは、行動を一瞬止めること。

連続性(慣性)の中断。

これ、退屈しないためだけじゃなくて、健康のためにも良いですよね。気分転換とか、リフレッシュのためにも。

で、そういう機会に、平凡な日常の中で、リアリティーを見出したりするわけです。

あ、変なことを想い出しました。

高校生の時に、悪友たちと体育祭の最中に抜け出して、映画館に行ってエロ映画を見たんですよ。

当時、日活ロマンポルノっていうのを3本立てでやってたんですね、場末の映画館。

もちろん、入り口で高校生じゃないか?って疑われたんですけど、そこはお互いに儀式的なやりとりで......。

で、面白かったのは、内容は他愛もないものだったんですが、まずモノクロだったんですよ!

これはショックでした。テレビだってカラーがふつうの時代になって、なんでモノクロだよ!

ところが、いざ、ポルノたるゆえんの場面になった途端に、

画面が鮮やか(でもないか)なカラーに変わったんです!

これには高校生の私も、さすがにのけぞりましたね。

笑っちゃいました。

資金不足でケチったんだって思ったのですが(それはその通りだと思うのですが)、

これが平凡な日常性というモノクロ的な世界が、一変して「色」を持ったカラーの、つまり目覚ましく鮮やかな世界に変わったのです。

ここにリアリティーが現出した、というわけです。

こんなに分かりやすい「気付き」の演出は、無いかも。

映画の内容は他愛も無く、またちっとも面白くもなく興奮もしなかったんですが、

館を出て友だちたちと、やはりモノクロとカラーの使い分けがおかしくて一緒に談笑したものでした。

で、何食わぬ顔をして、学校に戻って体育祭の選手の応援なんかやってたんですよねぇ。懐かしいなぁ。

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