NHK BSプレミアムで再放送「菊と桜 もうひとつの御所 京都・仁和寺」

EPSON001.JPG仁和寺のパンフレットより


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「菊と桜 もうひとつの御所 京都・仁和寺」

【再放送日時】2020/3/29()午前11:0011:59
             <NHK BSプレミアム>
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2017年に、仁和寺で取材・撮影されたインタビューが入っている番組。

一昨年4月に放送したそうですが、また再放送するという連絡がありました。


月日が経つのは早いものですね。

このインタビューは、京都大学物理学の井出亜理教授の研究室でやりました。

井出先生は、名前を見るとかわいらしい女性研究者かと思われるかもしれませんが(私のように)、

お会いしたら、まるでラオコーンみたいな偉丈夫のペルシャ人(イラン出身の方)。

日本語は流暢で、私には全く分からない物理・工学系の学者さんで、世界的にご活躍なさっておられるようです。

超高精細な壁画画像を撮影して文化財保存等に役立てておられるようで、ちょうど修復事業中の仁和寺観音堂で、

本尊ほかの仏像群が安全を期して他所に移されているため、ふだんは後に隠れていてよく見えない壁画が一望の下に見られるという機会を捉え、

大勢の助手さん達を使って撮影されたんですよね、壁画と柱絵を。

で、その成果をもとにNHKで番組を作ろうということになった、それは東京国立博物館他で

特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」 / 平成館 特別展示室   2018年1月16日(火) ~ 2018年3月11日(日)

てのをやることになっていたので、その宣伝も意図してのものでした。

いざ、インタビューと言うときに、井出教授が、美術史の専門家と対談することを提案されたらしく、急遽、私にオファーがありました。

暇な私は、交通費出してくれるという条件で、日帰りで京都まで行ったわけ。

「もう、ふつうのカジュアルな格好で.....」っていう電話での声がけを頭から信じた私は普段着の、いつもながらの冴えない姿で。

ところが、いざ行ってみたら、井出先生はネクタイ背広じゃないですか!

約束が違う、って講義したんですが、井出先生、悪びれもせず「ちょっと気が変わったんです」。

まぁ、いいのですが、問題はインタビューで、井出先生の観想と私の認識がズレにズレていて、撮影していた方はかなり困惑したのではないか。

ウソがつけない、バカが頭に付く正直者なんで、仁和寺さんが横に座ってらしても忖度しない。

ちょっと心配したのですが、放映したビデオを見てびっくりしました。

気がかりだったところは全く切り捨てられていましたーーそれは覚悟のうえですが、ーーえっ、ここを採るか??みたいな。

いや、番組見て、あれ、こんなこと言ってる、って自分でも覚えてなかったり、

で思い返すと、かなり特殊な文脈で言っていたのを切り取っちゃってるので、あれぇ誤解されそうーとか。

まぁ、目くじら立てる研究者もいないでしょうけど。


とまぁ、舞台裏はそんな感じでしたが、

仁和寺は、宇多天皇が仁和4年(888)に完成させた真言密教の寺院。当時の御本尊は、いま宝物館に安置されている阿弥陀三尊坐像。


宇多天皇と言えば、あの菅原道真(天神さま)を大抜擢して活躍させた方。

道真は当代きってのエリートで、漢詩をはじめ中国文化の体現者というか、日本を代表する中国通だったわけです。

ところが、宇多天王が密教に熱心になって密教僧として修行にはいってしまったのを好機に、藤原時平の陰謀で道真は失脚、太宰府に左遷され、その地で憤死。

この道真の無念は、怨念となって醍醐天皇や藤原時平を早死にさせたり、様々な災厄をもたらし(たと都の人々を怖がらせ)ました。

で、天神さまとして御霊を祀ることになる、つまり道真を「神様にするから勘弁して」となだめるわけですが、

それよりも興味深いことは、大岡信さんが言っておられるのですが、道真と入れ替わるようにして登場したのが紀貫之であるということ。

最初の勅撰和歌集(直線っていうのは、天皇の命令で公的に編まれるってこと)である、『古今和歌集』が、道真が死んだ数年後に編まれているんです。

道真=漢詩=男性性が没落し、貫之=和歌=女性性が勃興するという、象徴的な事件が900年代初めに起こっている。

こっから、「国風文化」が本格的に始動するんですよ。

先に挙げた、仁和寺の阿弥陀三尊像は、既に和風化の兆しをそのお姿に表している優れた仏像です。

で、仁和寺はその後、真言宗の2大派閥の片方のトップ(広沢派)としてずっと君臨するわけですが、応仁の乱で丸焼けになる。

その後、なかなか復興できなくて、寛永11年になって、ようやく徳川家光の許可と援助をもって再建できるようになったんです。

この裏にもいろいろあるんですが、それはともかくとして、観音堂もこの時に再建事業が始まる。

正保3,4(1646,7)年頃完成したとみられるんですが、この観音堂には当時描かれた壁画がほぼ完璧に遺っているんですね。

これがとても貴重で、かつ面白い。

どれだけ貴重で、どこが面白いか、っていうことは、目下論文執筆中です(笑)。

仁和寺さんが作ったパンフレット『平静大修理完遂 仁和寺観音堂 三十三体のみほとけと幻の観音障壁画』にも、ちょっと書いてありますが。

これ、500円で販売していて、結構売れているそうですよ。オールカラーだし、お得感あります。

もっとも、柱絵が省略されちゃっているところはとても不満で、遺憾なのですが、ね。


最近、観音堂ではなくて、五重塔について論文を書きました。東京国立博物館が発刊している学術誌『ミュージアム』684号に、

「仁和寺五重塔内荘厳と顕證ーー近世初期仏寺堂内絵画制作事業の具体相ーー」という仰々しいタイトルです。

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