2020年 明けましておめでとうございます。

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謹んで新たな年明けをお慶び申し上げます。

と、殊勝なことを書きましたが、実際は〝平常心〟です。

平常心、なんて言うと、悟り開いたような語感がありますけれど、全くそうじゃなくて、

いつもと同じ気持ち、っていうだけのことです。

決して前向きではない、というわけではないのです。

新年とかクリスマスとか誕生日とか記念日とかは、〝ケジメ〟としての意味があって、

人生において、振り返り、あるいは心機一転して、だらだらと生きないように、あるいは減速して消沈しないように自らをコントロールするという良いきっかけを作ります。

ですが、昨年来、特段に自分の生活を変えなければいけないというような気持ちが湧かないものですから.......

粘土いじりから半年くらいも遠ざかっちゃって、それでこのブログをアップする頻度も急激に低下しちゃっているわけですが、

そして、それは確かに気が充実しているとはいえなくて、なんか愚痴っぽい老人の溜息みたいなことを書いちゃったりしていますが、

それでも、淡々と、というか、それなりに人生を楽しんでいるんです。

変化しつつある(上昇ではなくて下降であるとしても)自分を、ニュートラルに眺めている生活が、それほど悪くもない。

っていうか、そういうもんだと、妙に納得しているというか。

で、年頭の決意なんて全くなくて。

昨日は家族が大掃除をいきなり始めたのも無視して、自分の部屋は全く手を付けませんでした。

でも、食いしん坊なので、いろいろ料理しましたね。

筍やゴボウやニンジン椎茸の土佐煮、レンコンやきんぴらゴボウを煮たり、豚のブロック肉を煮込んで、その煮汁がもったいないんでジャガイモや卵を煮込んだり、と煮物ばっかりですが、エビの天ぷらとかき揚げを作って年越しそばを食ったりもしました。

今日も朝に田舎風の雑煮を作りましたし。

ちゃんとお正月やってる感あるようですが、これは習慣的に自分が食いたいのが半分と、家族サービスが半分。

年頭所感、といえば、

今年度は、私の勤め先で最後の年度になります。つまり、今年で私は65歳という定年を迎えるわけです。

どうやってその後食べていけるんだろうって不安は押し隠して、

ともかく、最終年度なりの仕事をとにかくやらなきゃいけない、という忙しさを覚悟しております。

ともすると晩秋的な気分に覆われる傾向がとみに強まっている昨今、これはある意味で救いかもしれません。実際には、忙しいの大嫌いなんですが。

ありのままの自分、を愛おしもうとおもいます。

突然、思いつきました。

ニュートラルな自分。

いや、〝縁起〟とか因縁とか、現在の自分は様々な縁があって、それはイヤでも何でも必然的にというか運命的に現在に紐付けられている過去であって、どうしようもないんですが、

それでも、可能的過去、っていう矛盾的な言い回しで、

もし違った生き方をしてきたら、いま自分はどんなだろう?

てなことを考えてみたい。

過ぎ去りし日々を懐かしむとか、失われた青春を哀惜するとか、そんなんじゃないんです。

今の自分だからこそ、想像してみると面白いんじゃないかというふうに、

むしろこれからの自分の人生にプラスになるような、前向きな気分さえ感じます。

つまり、今というかこれまでの自分の生き方のうち、好ましくない部分を切り捨てられるんじゃないかと思うんです、無理をしないで。

具体的にいうと、

理想と競争、という二つが自分を呪縛してきたと思います。

理想というのは、一度限りの人生を価値あるモノにしたい。そのためには目標が必要である、と。

これ、手放す気はないです。やはり、理想は持っていたい。でも、その理想が、高望みだったんじゃないか、と。

つまり、無理をみずからに強いてきてしまったのではないかと。これが一つ。

競争、は、これは母親を恨みますね。

小さい頃から、学校で成績優秀となるように叱咤激励され、というか、母が喜ぶ顔を見たいからって方向付けられるんですよね。

で、同級生たちと優劣を競うようになる。これが、実は、人生を生きにくくしてきた。

勝てば嬉しい、楽しい。でも、競争って、一対一じゃない。自分対全体なんですよ。競争相手は無限に増えるわけですから。

しかも、この競争は生涯を通じて行われることを前提とされている。

勘弁して欲しい。

このあまりにも観念的に肥大した理想と競争心のせいで、

私はものすごく大きな落とし物をしてきてしまった、と思います。

この落とし物については、考えると心も痛むし、口惜しい気持ちも否定しませんが.......それは措いときましょう。

実は、こういう、今と違ったかもしれない〝可能的過去〟を空想してみると、

今に活かせる部分もあるような気がする。

結構、年取ったせいだと思うんですが、妄想が楽しいんですよ。

この妄想の線で夢を見たりすると最高で、目覚めたくない。マジで。

で、妄想だから現実にはあり得ないんですが、その妄想の中で今の自分に応用できる部分がある。

例えば、自分は男だ、っていうんで、〝男らしさ〟という呪縛に捕らわれているわけですが、

もし自分が女だったら、とか妄想すると、女性の好ましい部分をちょっと真似てみようかなんぞと考えてみる。

年取ると、もう男らしさなんてドウデモイイやって気がしてくる。それが自分を幸せにしないなら。

極端な例かもしれませんが。

で、長々と書いてきたけれども、

今年も昨年に引き続き、なだらかに老いていきたいと思います。

この、ちょっと後ろ向き的な、あるいは道草食う的な歩み方は、いろんな些細なことに心が敏感になって、しみじみと良いですよ。

日本の美意識ってこういうものだったんかな、と思うんです。

20191225_133523.jpg春を待つ。

この記事へのコメント

  • 謹賀新年

    仏像のクオリティ 
    まじ 素敵!

    作ってくださいね~!

    今年も

    楽しみにしています!

    2020年01月06日 19:39
  • ひげねこおやじ

    聖 さん

    コメント、ありがとうございます。
    勤務先の業務が今年はかなり負担になりそうな予想があるのですが、なんとか製作に戻りたいと思います。
    昨日、予備校生時代からの友人と15年ぶりに会って飲んで、美大時代を思い起こし、また苦労した中で依然前向きな友人の姿に激励されました。
    あきらめるのはまだ早い、といわれちゃいました(笑)

    聖さんも、実り多い年となりますようにお祈りしています。
    2020年01月07日 10:07