日記の続き (プライヴェートな昔話なので、暇な人以外は付き合っていただかなくてよいです)

前に日記をつけていた話、特に10代の頃の日記について書きました。 こうなると、続きをよまずにはいられなくなる。 なんと、2日間、没頭しましたね! 在勤のおかげというべきか。 で、懐かしさから、次第に生々しく古傷に触れ始めて、やがて傷口が開いてしまい、血みどろになってしまいました........。 いま、正直、落ち込んでいます。 ん~、30年以上前の日記がこんなに破壊力があるのか。…

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10代の日記、変わっていない自分!

庭の片隅に発見。つるバラ。 押入の中に埋もれていた日記の束を偶然見つけました。捨てるに忍びなくてズッと秘匿していた日記。 そろそろ処分すべき時かもしれません。 一番古いものは昭和43年7月のもの。私が13歳、中学1年生の時。 これは、中学の夏休みの宿題ではじめたもののようです。内容は、父と一緒に九州に旅行した記録でした。 寝台急行「明星」に乗って、二葉亭四迷『浮雲』を読み始めたなどと、…

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「遊び」としての芸術

ミカンの花 ここ数年、突如として花も咲かず実も付かずだったわが家のミカンですが、今年は沢山の花が咲いてくれました。 貧しいわが家では、かなり重要な食用の果実であり、レモンと並んでビタミン補給源でもあり、嬉しい。 まぁ、市場に出る糖度の高いものに比べるべくもない、野性的な味ではありますが、これはこれで美味しい。 うまく大雨とか塩害(これが鎌倉ではかなり脅威です。毎年、うちのモミジは塩害のた…

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人間の評価?

私たちはなんとはなしに、自分を含めて、ひとは一つの性格、キャラクターとしてまとまっているように見なしがちです。 でも、自分自身、前に書いたように一貫した言動をしているわけではないし、 一つの行動を選択しつつそれと同時に別の行動を欲していることに薄々気づいてもいるものです。 誰だってそうだろう。人生というと大げさだけれど、行動するということは常に一つの選択を行っているわけで(だからこそ自…

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招き猫娘。久しぶりに。

無聊、というのでもないのですが、 石粉粘土、新たに手をつけようという気になれなくて日を重ねています。 関心が無くなったわけでは決してなくて、 仏像も女体も相変わらず限りなく愛し憧憬しているのでありますが。 やる気が出ないまま、旧作もあんまり見ないのですけれど、 中途半端のまま放置してあったレジン作品を見かけて、なんか気になってしまうと、 キーボード叩きに飽きた暇に少し手を入れてみ…

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人を幸せにする学問

 今日は立夏 covid-19のために大学もキャンパス閉鎖。なので、授業はWebを遣ってのOnline、リアルタイムでやるか、それとも動画配信みたいなかたちで行くか。 少人数のゼミなどはWebexを使って始めましたが、履修者が大勢だとかなりしんどいので、パワポに音声入れて動画仕立てにしました。 それで、学部で2年生になって美術史学を専攻しようという学生さんたちに、芸術研究の基礎を高じるとい…

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自分の思考法から愛におよぶ(笑)

いろんなことをブログに書き散らしてきていますが、自分でも、ちょっと分からなくなることがあります。っていうか、自分の言っていることって、一貫性があるのか無いのか。そのときその場で言ってることが違うのか?どうか。というのも、時々、この前に言っていたことと違うと指摘されたりすることがあるからです。または、ひとからこの間こんなことを言っていたよ、と言われて、へぇ?って思うこともあったりする。但し、そ…

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リアリティーについて。懐かしきエピソードと....

ヒメツルソバの上にツルニチニチソウの落花 リアリティー。 それは日常生活の中で、他者との出会いによって喚起される実感と言うことが出来るかもしれない。 他者とは、誰でもよい、他人だけではなくて親族や身近のひとでもよいし、あるいは人間じゃなくて動物や植物でもかまわない。 つまり、「出会い」だ、自分が自分以外のなにものかと出会って生まれる「驚き」「気付き」だ。 covid-19のため自宅に籠…

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