ヤクシニー風の吉祥天、手を加えました

 以前にヤクシニー風の吉祥天小像として、小さな試作品を記事にしたのですが、昨日ひょんなことから実物を発見(?)して、ちょっと手を入れました。  元記事はこれです http://heigenekooyaji.seesaa.net/article/435979876.html  彫りが甘いので、顔や右手などをより精密に。     小さいのでおおまかに作っていたのですけれど、…

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“無名菩薩”進めています

 菩薩・ボサツとはどういう存在でしょうか?  『仏教・インド思想辞典』によれば  bodhisattva ボーディ・サットヴァの音写で、菩提薩埵とも書かれる。ボーディは仏陀と同語源で「さとり」を意味し、サットヴァは存在とか有を表すので、玄奘三蔵は「衆生」と訳したりしているそうです。「菩薩」という言葉は、著名な訳経家である鳩摩羅什以来広まったようです。  菩薩は「さとりを求める…

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阿修羅像の続き さらに

 天気が良くて陽が差し込むので粘土がよく乾きます。  細部の磨きが不十分なのですが、いちおう六臂の持物をつけてみました。  右第一手は与願印です。根が傲慢でケンカっ早い阿修羅に、何が与えられるのでしょう??  屁理屈ですが、  持っているものしか与えられないものでしょうか?  たしかに、ない袖は振れぬ、ともいいます。  けれども、「ない」と思っているのは我…

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阿修羅新作の続き

 阿修羅像、ようやく6本の手に肉付けを始めました。  最初に、今回は合掌手はやめようと、さほど深くも考えずに思っていたのですが、法隆寺五重塔塑像はともかく、興福寺の有名な阿修羅像をはじめ、阿修羅像の左右第一手を合掌とする例は多いです。図像学的にいうと、『観音経義疏』や『補陀落海会軌』に、左右第一手は合掌、左第二手に火頗胝(水晶・太陽のこと)、第三手に刀杖を執り、右第二手は水頗胝(月…

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菩薩像の続き “無名菩薩”??

 菩薩像も進めています。  このあたりまで来ると、身体の歪みが目についてきますね。身体の正中線がずれているし、はじめからそうなのですが猫背でもあります。  私自身、証明書用の写真を撮ると、必ず首が横にズレでしまって身体と顔の正中線が合わないんです。意識してもダメ。これは私の背骨が曲がっているためでしょう。幼い頃から姿勢が悪いと親や教師に言われ続けてきたもんですが、一向に改まら…

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アナスタシアのイメージを求めて

 先に紹介しましたウラジミール・メグレ『響きわたるシベリア杉』シリーズ。日本語訳で5冊まで翻訳されていて、私はKindleの無料版を読み始めてからすっかり魅了され、一気に5冊読んでしまいました。6冊目が待ち遠しいくらい。  物語的に面白いのは初めの第1巻から第2巻ですが、それはシベリアのタイガというシベリア杉の原生林が拡がる地域に、ほとんど原始人同様の生活をひとり営む美しい女性アナスタ…

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仏像をつくる、ということ

 菩薩像も、若干進みました。  よく問題となることですが、“仏像”とはなにか?ということ。  仏様を拝む、という行為と、美術館で仏像を鑑賞する、という行為。  これは矛盾しないのか?  キリスト教においては、偶像破壊イコノクラスムという思潮が盛り上がった時代がありました。それは、聖書に“偶像”を拝んではならないと明確に禁じられているからです。この場合、キリスト教の…

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阿修羅の新作 中途

 新年を迎えました。  いろいろと、不安要素の増しつつある社会情勢ですが、今年はこの流れにストップがかかり、弱い人々にi雁がとどきますようにお祈り致します。  プルミエで作り始めた阿修羅を進めました。怒りのため、というわけでもありません。淡々と。  手はともかくとして、まず顔を先行させています。忿怒相ではなく、興福寺旧中金堂像系の青年イメージで。  左右面…

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